祖父彌太を支えた人々  ―弥太のみち上演の記念に  
   岡本龍太(彌太の孫、高知市在住)
   

今回の祖父岡本彌太の一生を演劇で表現してくださる劇団the創のみなさま、今年で生誕120年没後で七十七年になる詩人の生涯を再現するのは、並たいていの努力ではなかったことと思います。まずは、演出・監督の西森良子さまはじめ劇団員の方々に感謝申し上げます。

私は、祖父彌太の三女、m子(ようこ)の長男で岡本家を継いでいます。祖父の子供たちは長女瑠香、次女玲(れい)下に泰子の四人姉妹で、m子は早世した玲とは、五歳離れていて、玲の死去後一年後に生を受けています。母は今年、一月十日で、満八十五歳となり、いよいよ老いが進みました。比較的元気なのは、四女の泰子です。瑠香は、六年前の一月五日に、夜須の寺田内科で逝去しています。

私の生まれは昭和三十三年三月で、そのころ我が家は高度成長幕開けのころ、木工職人の父と農機の販売会社に勤める母の夫婦共働きの家で、私は完全なおばあちゃん子でした。祖父の妻由(よし)はそのころ後妻に行っていて、金子の爺さんが私の祖父でした。芋ケンピを毎日作って直販したり、卸に出したり、忙しそうでした。夕方には畳の上に芋ケンピの山ができて、おやつが毎日芋ケンピ!夕食時にはおなかが膨れて食べられませんよね。そのようにして育ちました。

 金子の爺さんは、農家で土地持ちで、家主を失った岡本家の戦中・戦後を助けてくれた恩人です。
そのような経緯もあってか、由はめったに祖父彌太のことは語りませんでした。いろいろな方々が、顕彰の活動をされるときは、お呼びがかかりましたが、本当の祖父彌太のことは封印していました。ただ、昭和五十一年の春から始まった高知新聞連載の弥太私抄を堀内豊さんが書いたときには、うれしかったり泣けて悔しかったり、感情があふれていたように見えました。
長命な人で九十七歳まで生きました。

 この由が、祖父の生活面を支えていて、四人の子供の母親としてすべての家事全般をこなして、いたようです。
すぐに宴会が始まる土佐のことですから数々の酒席でのエピソードが伝わっています。お酒の肴がなくなり、野市の家の池のコイをとらえてきてあらいにして客人に食べさせた話。生前唯一の詩集「瀧」の出版のころ、詩作にいきつまりザブザブと家の裏の海に入っていく祖父を後ろから追いかけて陸に抱え上げてきた話など…

 小学校の教員が詩人として生きるにはいろいろな方々の援助があってのことでした。「瀧」の出版を経済面で援助下さった島本健太郎校長先生、編集・出版の労をとられた岡山県高梁市の間野捷魯氏、中村伝喜さんをはじめとした教師仲間の土佐梁山泊の人々、愛人となった女性たち、二日酔いでよく自習を課せられた生徒たち、全国に散らばる同人誌仲間、「鬣」(タテガミ)「鸞」(ラン)同人たち、早世した二女玲、新進詩人瀧川富士夫氏も早世、もう断片のようになってしまう数々の想いでの日々。

 詩人は死して死なずと言います。祖父彌太の没後は、次々と偲んでくださる方々によって光をあてられてきました。
中村伝喜さんの教えに感動し、彌太をやろうとなった山川久三、川島源太郎氏、瀧の復刊は、この二人によりなしとげられ、「山河」集は、平成十年のこと、新刊されました。一昨年、彌太七十五年忌にて、講演に立った猪野睦氏は「山河」の詩文はまだ読み込まれていないし、これから読み込んでいかなくてはならないものがある!とおっしゃいました。(猪野睦先生は、その翌年平成三十年夏にお亡くなりになりました)

 彌太詩賞として続く文化活動、そして忌日の弥太忌
   (今年も十二月一日、岸本町脇の磯、峯本神社境内にて行われます)
 そして、祖父の詩文を形として残す石碑たち。

白牡丹図は昭和二十三年、島崎曙海さんたちの顕彰活動により、(高村光太郎揮ごう)

みちは昭和三十四年祖父の墓詩として、遺族の手で

雲は生誕百周年の記念事業として、生誕地の野村裕邸に

そして今年春には東北の宮澤賢治雨ニモマケズ(前段)と誌友西村和三郎の「山霊讃歌」とともに「櫻」が、西村光一郎氏の尽力で、高松紅真さまに揮ごういただき、足摺牧場に建立されました。

 いよいよ、最後になりましたが、詩は歌とともに残り、歌い継がれていくと言います。生前土佐梁山泊の宴会で「わが涙」は必ず歌われたようですし、今回の劇中にも登場すると聞いております。今年の夏には、「櫻」に曲が付きました。岡豊高校の松居先生による作曲で、ひ孫のギタリスト和也が編曲して「櫻」詩碑の建立式に歌いました。八十年以上も前に作られた詩文が今によみがえり、しかもまったく古さを感じない歌となりました。(今後、祖父の詩文を歌曲で残すCD化も検討しているところです。)

このたびの公演に貴重な時間をさいてご鑑賞くださったみなさまに御礼申し上げてこの小文の結びとさせていただきます。

祖父に関する情報がございましたら、ぜひおよせいただきたい思います。
今後もできるだけたくさんの祖父とかかわりのあった方々の情報も載せ、新情報をホームページでアップしていこうと思っております。
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