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2015年 最新版

詩人 岡本弥太の軌跡

ギャラリー(貴重な写真や図録、詩碑.など)の情報


  


Gallery:

作品紹介(クリエイティブコモンズ)

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白牡丹図
詩/岡本弥太

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詩/岡本弥太

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詩/岡本弥太

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光明真言
詩/岡本弥太

 

弥太の生涯(写真ほか)

教員時代、昭和14年(1939)頃

香美郡在所村・府内小学校の校庭にて

(府内第五尋常小学校訓導兼校長)


弥太(41歳頃)の左隣が妻の由(よし)、

由が抱いているのが、四女の泰子。

弥太の右前に座っているのが三女の璟子(ようこ)。


     (岡本弥太生誕百年記念展図録より、部分転載)

教員時代、昭和12年(1937)3月

前濱尋常高等小学校の「卒業の思ひ出」より

(弥太は、恩師の写真の前列左端)


この記念写真は、

高知県前濱尋常高等小学校と

同 實業公民学校の合同記録


     (岡本龍太所蔵、by IAM)

詩の同人誌「鬣(タテガミ)」
昭和6年(1931)、7年(1932)

「鬣」第4号

詩・・・鐵の鷲・・・岡本彌太

発行所:詩原始社

発行日:昭和6年(1931)9月20日


「鬣」第7号

詩・・・桜、山、無題・・・岡本彌太

発行所:詩原始社

発行日:昭和7年(1932)6月15日


     (岡本龍太所蔵、by IAM)

教員時代、昭和2年(1927)3月

夜須尋常高等小学校の「卒業記念」より

(弥太は、恩師の写真の後列左端)


この記念写真は、

高知県香美郡夜須尋常高等小学校と

同 村立女子農業補修学校の合同記録


     (岡本龍太所蔵、by IAM)

岡本弥太の詩碑「白牡丹図」

弥太没後、仲間や弥太を慕う多くの人々の努力により

昭和23年(1948)4月20日、香美郡岸本町に建立

(詩碑除幕式は、同年7月17日)


詩碑には、高村光太郎に依頼して揮毫してもらった

「白牡丹圖」の詩が、しっかりと彫り込まれている。

「白牡丹の花を捧げるもの・・・・ 岡本彌太」と。


     (撮影 2013.11.13 by IAM)

 

 

弥太の生涯(写真など)

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家族と

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今西金吾宛の年賀状

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昭和12年(1937)3月

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詩の同人誌「鬣」

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昭和2年(1927)3月

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白牡丹図

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画家藤田太郎より

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弥太の座卓(現存)


Test

■ 2013.11.18: ホームページ(Index)他、全ページの標準化

その13です。検索ページ表示用に、全11ページの「タイトル」を再設定して揃えました。

■ 2013.10.16: Webの目次:Table of contents:の試案を配置してみました。

新WebSiteの構成を明らかにするため、必要と思われる目次テーブルを試作しました。
その2です。後日、追加や修正もありますので、まだ決定ではありません。

■ 2013.10.15: 「詩人 岡本弥太の軌跡」のテストページ(Home)を作成しました。

あ・あ・あ・・・テストページを作成しました。
その1です。詩集から「白牡丹図」を引用しました。


blue10.jpeg Link(1):

下記項目から、外部サイトへリンクしています。

宮沢賢治記念会 花巻市「宮沢賢治記念館・生家(蔵)」のご案内

岡本弥太ほか高知の詩人(高知県立文学館)


blue10.jpeg Link(2):

下記項目からも、外部サイトへリンクしています。

キングレコード:日本娘(にほんのむすめ) by Youtube

(作詞:岡本弥太、作曲:吉原 規、唄:伶明種子・伶明櫻子)1931年


blue10.jpeg 参考1:弥太の座卓とは

 

弥太の座卓は、現存のものを岡本龍太撮影(2013.10)の写真より掲載しました。

江戸時代までの日本では、家の中でも身分・家長制度のため家族が同じ食卓につく習慣が無く、それぞれが床の上に置かれた「膳」や「箱膳」で食事をしていました。しかし、明治時代から四民平等となり、西洋のダイニングテーブルと日本の食事スタイルの融合から、座卓や卓袱台が作られました。「弥太の座卓」は、晩年まで自宅で使われていたもので、ケヤキ突板による天板作りや脚部のスタイルから、昭和時代に購入されたものと思われます。三女、璟子(ようこ)によると、食事や団欒だけでなく、この座卓で詩や原稿も書いていたそうです。


blue10.jpeg 参考2:「いたつき」とは

 

* 岡本弥太の詩、「盾」の中に、「いたつきのつはものとなれ」の表現があります。

宮澤賢治の詩にも、「いたつきてゆめみなやみし」などと表現されています。

漢字混じりで表現すれば、「労の強者となれ」。労(いたずく)は、文語では「いたづく」痛付くの意味、古くは清音の「いたつく」と発音されていたようです。つまり、労(いたつき)とは、心労や苦労、病、骨折りと考えれば、詩のイメージが理解しやすいのではないでしょうか。なお、労(いたずき)で、功労、功績の意味もあります。

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